【価値観のあり方を考える。世間知らずな自営業者の戒め】
価値観とは何か?
いかなる物事に価値を認めるかを
個々人が判断する評価的基準。
現代において
よく見聞きする言葉であり
自身も度々、会話や文書にて用いていた📝
むしろ昨今なら
「価値観」をあらわしたり
「価値観」を許容することを
当たり前であるとする、向きもある。
当店は『横浜駅』にて
創業39年目の小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》です🧺
今回は、そんな
分かっていそうで深く考えなかった
「価値観」という存在について
考えてみたい!と、思い立った
てな記事となります✒️
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価値観を尊重するとは?
多様性の時代と云われる今。
価値観を尊重することは
とても重要なことに想えるが
本当にそうだろうか??
厳密には
“尊重されるべき、見習うべき価値観を
取り入れて、大切に育む“
ことが重要であり、貴重かと想える。
世間で騒がれる「価値観」には
◆自分勝手/特定の人に都合の良い
節操の欠けた、軽薄な主張も多く潜み
・それらさえも、許容
・大袈裟にいえば、強迫
されているかのようにさえ映る👀
では「価値観」とは何者なのか?
価値観という概念は近年に拡まった?
そもそも「価値観」という言葉
昨今的な解釈、概念は
近現代〜現在に急速に拡まった、らしい。
もちろん、大昔から
人それぞれに「価値観」は存在したハズだ。
だけれど
今風の「価値観」はモノが増え
サービスが溢れてゆく世の中で
とめどなく膨れてきたシロモノのようだ👾
冒頭に記載した「価値観」の意味
“個々人が判断する評価的基準。“
この評価基準、判断基準というものは
実は以前は別の観念が担っていた。
それが『道徳』だと云われる📕
つまり昔は『道徳』が上位概念にあり
その中、内で「価値観」を取捨選択する流れだった。
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道徳という落とし穴
けれど『道徳』だって考えモノだ。
きっと『道徳』には
▷自然と善いと想い、感じる道と
▶︎教わって良いと思い、生じる道とが
あるのではないか?
時代によって、立場によって
社会にとって、宗教/信ずるモノにとって
そう捉えば、海外では
宗教的『道徳』離れを補うために
現代的「価値観」を与えたのかもしれない
当然、日本も影響を受けたが
日本の場合は、宗教とは少し異なる
独自の『道徳観』があり
ある意味で侵食のスピードは緩い🤔
つまり《キシミール》が
肝に銘じたいのは
今一度『道徳』を養い
そのもとで「価値観」を正す、作法だ☘️
さいごに
「価値観」の持ち方について
教わらないように
『道徳』の築き方も、また
教わらない。
確かに生活の中で学ぶ
「価値観」も『道徳』も多くある。
だとしても、だからこそ
《キシミール》は
今一度『道徳』を養い
そのもとで「価値観」を正す、作法☘️
に興味がある📖
何故なら私たちには
☆こう在りたい自分
☆こう成りたい自分
未来像を抱き、描きたい
志しが湧くからだ❤️🔥
仮に
♠︎金持ちになりたかろうが
♠︎有名人になりたかろうが
♠︎何かしらの成功を得たいとしても
今の自分が、ただそれに変容するのではなく
肉体面でも精神面でも誠心で潔く
〈カッコ善い人となり〉として
成長を遂げたいからだ🍀
いや、《キシミール》は
なんなら〈カッコ善い人となり〉に
己を導いてゆけるのならば
「♠︎であげた野心は叶わなくても構わない」
とさえ想っている。
その理由は定まっている
我の信念と、最善があらわす
分相応の成果こそ、満足に値するからだ🪨
《キシミール》は
世間知らずな弱小自営業者だ。
綺麗事を並べて
幼稚な意志を宿らせ生きている🌱
だけれど、これが私の
【最善を(ベスト)尽くす】生き様なのだ。
こんな「価値観」も
誰かには熱苦しく、鬱陶しく、胡散臭く
思われるのだろう。
それもまた現代において認めるべき
誰かが持つ「価値観」だ。
ただひとつ《キシミール》が
述べるとすれば
「価値観」に支配されたり
「価値観」に左右されるより
『道徳』を築いて
『道徳』で導いてゆく
生涯の歩み方を《キシミール》は
試み、嗜み、愉しみたいのだ🐾
歪まぬよう、濁らぬよう
地味でも地道に、愚直に慎んでのぞもう🛣️
人生の経営は、私にもアナタにも
平等に贈られた、権利なのだから🎁
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