【仕合わせとは?昔の”しあわせ”の価値観から辿る経営俯瞰】
仕合わせの意味
1970年代から今日まで
日本の音楽シーンに多大なる功績を残す
中島みゆきさん、の名曲「糸」の中にも
〈仕合わせ〉という表現がある。
今でこそ珍しい“しあわせ“の書き方だが
一昔前まで、または昔の書物などでも
〈仕合わせ〉という表現が見られる。
◆幸せとは、幸/不幸の状態を
あらわすのに対し
◇仕合わせとは、巡り合わせ
そうなったこと自体を指す
ある種、人生のテーマでもある
この“しあわせ“について
本日は、その価値観、捉え方での
心情の変化にまつわる記事です📝
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しあわせの価値観、捉え方
しあわせですか?と尋ねられたら
大雑把に言えば「はい、いいえ」で
答えることを想像させられる。
それはやはり“しあわせ“のイメージを
◆幸/不幸の状態で受け止めるからだろう🤔
《キシミール》個人的には
自分にとって良いことも悪いことも
◇巡り合わせであり
『仕合わせ』として受け取る感覚だ。
仮に不幸のような事態に際しても
不運だとか、不調であり
そこからどう振舞うか?と頭を悩ませる。
不幸そのもに悩まされるのは嫌というか
起きた事は仕方ない=仕合わせなのだから
次、未来に現れる〈仕合わせに備えたい〉
福や恵まれているという、しあわせ
日本は幸福度が低いと言われているが
謙遜もあるだろうし
もし本当に幸福度が低いと想うのだとすると
幸福とは何を求めているのだろうか🧐?
衣食住、治安、娯楽、
それらがほぼ46時中、安定的に開かれ
不便な事は概ねないに等しい。
不満が生じる状況を観察すると
それは「自分の都合ばかりを求める時」だ、。
幸福度とあるからには度合い
量で感じている
では自分で増やすことも
減らすことも可能であり
物にその量の増減を委ねず
自で“しあわせ“の価値観を磨きだし
重みや深み、輝きを増させるのも嗜みだ💎
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しあわせとは在るモノ?
他所を羨む、他人と比べる場合の
「しあわせ」とは、願望に近いのかもしれない、。
そうなりたい、なれないと不幸…の様な😥
けれど、今というそのモノが
〈仕合わせ〉として在り、その中の福や恵みを
一つ一つ、認識して、育てる
不運や不調、失敗だって
次なる〈仕合わせ〉の種だ🌱
そうして現在に[在る状態]を
ととのえてゆくことで
その後に芽吹く[成る招待]も
自分の目指すべき道として拓かれる
《キシミール》は、ぼんやりと
そんな俯瞰で人生という経営を眺めている👀
さいごに
昔の人は〈仕合わせ〉と書き、想い描いた。
厳密には、“幸不幸の尺度と使い分けていた“
のかもしれない。
きっとそれくらい
幸も不幸も表裏一体というか
一喜一憂したくなるくらいだから
足元をすくわれたり、おごったりしないため
一喜一憂していられないというか
贅沢=しあわせじゃないし
福や恵み=有り難い
そんな価値観だったように映る📚
とある古書の一説に
“若い時分は〈不仕合せ〉すべし“
的に書かれていた。
現代的にあらわせば
“苦労は買ってでもしろ“だろうか。
《キシミール》の解釈では
〈仕合わせ〉という気概…
巡り合わせを受け入れるに至る前には
〈不仕合せ〉…
何事も上手くいかない状況で
どう立ち振る舞えるか?を養え
[胆力、精神力を培うべきだ]
そんな助言として読んだ📖
本記事の中で
不幸は、不運や不調と置き換え記しているが
運とは気運、調子とは心力
心の中から創造してゆく言動で
自身を、身近な雰囲気から
好転させようと試みる🪨
つまり【最善(ベスト)を尽くす】
“人事を尽くして天命に聴(ま)かす“
《キシミール》は、そんな信念のもと
未熟な自分を鼓舞し生きている。
《キシミール》は、今が仕合わせだ。
そして更に心が豊かに成長出来たらと想う。
ではココでの豊かさとは何か?と述べれば
志しが合う人たちと
人生の経営を謳歌し、堪能することだ。
♤お店を営む我々
♤お店で働く女の子たち
♤お店を活用してくださるお客さん
それぞれが《キシミール》を出たあとの
日常が充実してゆく
日常が充実することで
またその周りの人たちへ充実をお裾分けする
そういう巡り合わせ=仕合わせの循環の
一助で在り、成りたい。
だから《キシミール》の
仕合わせは=志合わせでもある。
さて本日も地味に地道に愚直に慎ましく
私なりの生き様を築いてゆこう🏯
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