【ふるいにかけた砂金と泥?結果より成果を見据える経営志向】
物事の観点と語り口
◆疲れたから甘い物を食べよう
◇甘い物を食べて疲れを癒そう
同じことを表しているのに
微妙に異なる未来に見えてくる不思議👀
当店は『横浜駅』にて4月で
創業40年目に入る小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》です🧺
・本などで他人の想いを読むとき
・周りの人の話を聞いているとき
深く考えぬ間にニュアンスで受け取る
些細な表現の差で
心に残る印象の深度も変わると感じている。
はてさて、そんな本日は
【結果より成果を〜】と題して
記事を綴ります📝
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残ったモノのどちらを選ぶか?
川の中、泥の中、砂の山
砂金を探して土などをすくい上げたとき
ふるいにかけて現れる
▷砂金の粒を見るのか?
▶︎下に落ちた無数の土などを見るのか?
この場合は、ほぼ砂金を見る
人の方が多いと思う🧐
けれど、世の中の日々に置き換えたとき
仕事、恋愛、生活(治安、社会保障)などなど
になると砂金より、それ以外の土や泥や石
の部分に目を向ける人が
多く居ることにも気が付く。。
「こんなに頑張ってもコレっぽっちか」
比べたくなる気持ち、報われたい気持ちは
確かに浮かぶけれど
目前にある輝きの価値をもっと見つめたい。
子ども心、童心の目
想像してみる。
子どもならどういう反応だろう?
もっと目の前の体験/輝きに釘付け
というより、自身の目を輝かせている✨
大人のイメージだと
重い、いっぱい何か落ちた、疲れた
↑は、悪い意味じゃなくて
「キチンと状況を把握している」
その分、フォーカス/ピントがズレてしまう
ただそれだけの違いにも映る👓
子どもが泥だらけになっていれば
大人は反射的に汚れに注目が向く🪨
大人は頭が良いのだろう📚
そんでもって子どもは遊びに賢い🪄
そして大人も精神、魂の中に
子ども心、童心を秘めているではないか💡
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子どもも嫌なモノは嫌
「子どもだって嫌なことには全力で嫌がるだろ」
そうだから、周りの人が
『嫌なことではないことを伝える』
そうして愉しみ方や嗜み方を感じてくれたり
“苦労にも自らで価値を加えてゆける“
可能性を見出して、成長が育まれる🌱
大人は、その道筋を知っている。
知っているけど、目の前の状況判断に
脳のリソースを使い過ぎて
肝心な部分に照準を合わせることを
忘れているだけではなかろうか?
ふるいですくい上げたモノとは
=可能性の塊だろう
そんな可能性の中から
ほんの僅かしか光が残らないのではない。
無限たる可能性の塊の中から
自分だけの光を
何度も洗い出し、磨き出せるではないか💎
さいごに
♠︎ふるいから落ちたモノは結果
♤ふるいに残ったモノが成果
《キシミール》は、そんなイメージだ🪐
社会では「結果が全て」とよく言われる。
それは♣︎他人を評価する
判断基準として数量を見るからだろう。
一方で♧自分を表するのは成果であり
成長記録として描くことこそ
人生という作品だ🎨
《キシミール》は、そう捉えている。
大きな役割りを担う仕事である程
「結果で示さねばならない」
それは顧客や取引き先など
関わる人が増える分だけ
拭えない固定観念として求めらる、。
としても〈私は私の成果を歓び、讃える〉
一念を宿して生きて善いではないか☘️
川の中、泥の中、砂の山
埋もれ、隠れながらも
“よくぞ逞しく存在していたな“と
その一粒の金に感激し
自身の中にも眠る金脈なる魅力や能力を
惹き出すために生きるのを
《キシミール》は、試みたい❤️🔥
きっと日々を過ごす食事も感受性も
身体の中に無数の可能性を入れ
そして吸収や排出をした今の自分が
ふるいにかけられ残った
金源そのものなのだろう👑
脳裏に浮かぶ負の面、不純物に
心を揺さぶられず
芯の部分、幹の部分、核の部分
心が踊るような
リズムで、武者震いしながら
輝きを表し、顕れる生涯を築くのだ🏯
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