【物質と精神とで分けて考える?個人事業主なりの着眼点】
物事を見るときの癖
ほんの一昔前と比べてさえ
巷に溢れる「物の量」は
日毎に増えているように映る👀
そうなると、更に無意識に
「物を物として捉える」人が多くなる気配だ。
と、何を当たり前のこと言っているんだ!
てな感想を覚えるかもしれないが
本日は【物を物質として捉えず、精神面で捉える】をテーマに綴る記事です📝
これは決してスピリチュアルな話ではなく
『横浜駅』にて4月で
創業40年目の小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》なりの🧺
着眼点に関する予備録なのです📖
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物質と精神と
ここで述べたいのは
▶︎物質とは→形のある物(完成品/商品)
とか、いったん出来上がっている物
▷精神とは→形ある物を構成しているモノ
元素とかってより、生産者とか工程とか
つまり野菜でいうと
▶︎スーパーで買ってただ食べる野菜ではなく
▷生産者や物流、自分の栄養となるまでのことを想いながら食べる野菜
的な話です💡
よく言えば
・愛着を持って接する
悪く言えば
・余計な情を抱く かもしれない🤔
けれど『どう捉え、どう接し、どう扱うか?』
で、物事の行く末が変化するのは
何となく想像が付くかと思う。
側面、場面、局面
つまり何が言いたいかと、まとめれば
「物を物として捉える」と
◆物として用いる方法
しか浮かばない
一方で『物を構成要素で捉える』と
◇様々な用い方を知り、組合せも出来る
といった具合なのだ🤖
絵や音楽も、物として捉えず
その背景に想いを馳せると
味わい、奥ゆかしさは格段に深まる。
そう、側面、場面、局面での
選択肢、表現方法、感受性が
次に自身を導く道への一歩に
大きな影響力となる🐾
可笑しな言い方だが
固定観念、価値観の固着が
それこそ「自分を物質化」してしまうようで
《キシミール》には切なく想う🍂
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世界にある、真なる差別とは
とある本で読んだ一節が印象的だった。
“日本人が想う差別とは
「人と人との違いに対して」だが
世界の歴史での差別とは
「人を人として見ない」ことによるのが
真なる差別の問題点なのだ“
これと一緒とまでは飛躍しすぎだが
昔ながらの日本の思想
〈八百万の神〉のように
物にも魂、精神を宿す考え方
そんな作法で物事を捉えるのが
愉しいと《キシミール》は感じる✨
いや寧ろ、本来の世界はそうしていたのに
いつしか現代人は、「物質」に
心を惑わされてしまったのかもしれない…
さいごに
今回、考えてきたのは
[モノを大切に扱おう]というより
(それも大事だが)
[モノを丁重に扱おう]てなニュアンスだ。
似ているけど、もっとこう〜
♤モノの可能性を惹き出そう
つまり自分自身に対するのと同じで
物事、事象、自然も天然も
そして人物も♤可能性を惹き出したい
そういう念で
《キシミール》は身の回りを観ている👀
もちろん「物を物として扱う」場面もある
だけれども、その方法が最適だったから等
選択肢、表現方法の中で
洗い出して用いたいのだ🌾
とはいえ《キシミール》だって
DIYが得意なわけでも
リサイクルの知識に長けている訳でもない、。
だから、地球に優しいか?と問われれば
全くもって無能だろう😰
その代わりと言ってはなんだが
せめて心意気、精神面では
教訓としたり、教養としたり
しみじみと有難みを受取りたい🎁
物質と相対していると
もっと良い物だとか、他の物を、
と考えてしまいガチだ、、。
そんな時に少し立ち止まって
その物の精神面、構成要素を想像してみる💭
♤より活かせる道はないか?
♤私がモノの可能性を惹き出せないか?
♤このモノが私の可能性を広げてくれるのでは?
“丁重で在りたいし、成りたい。“
《キシミール》個人的には
人として未完成のままで構わないと想う。
あらゆるモノと補い合いながら
お裾分けし合いながら
築いてゆく人生の経営を嗜みたい🗻
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