【経験をコレクションする。苦楽というアイテムをどう扱うか?】
経験との付き合い
生きていれば
さまざまな〈経験〉と出会う。
その蓄積で感情が耕されたり
新たな価値観の芽生えが起こったりする🌱
〈経験〉とは
・訪れを待つだけなのか?
・自分から求めるのか?
それとも
・何気ない日常の些細な事柄からも
〈経験〉を感じ取るのか?
《キシミール》の場合ですが
インドアタイプであると同時に
『体験より体感を浴びたい』
言い換えれば
[感受性]とも表せるであろう
そんな〈経験〉との付き合い方。
今回はー
“味わった苦楽は、どう活かせるのか?“
について考える記事✍️
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経験のコレクション
「体験してみなければ分からない」
確かにそうかと思う。
しかし
「体験してみて分かることがある」
が、本当のところではないだろうか?
前項で述べた
『体験より体感を浴びたい』とは
実際に肉体が体験する前の
擬似体験、想像的体験
それを『体感を浴びたい』と表現した🌌
〈経験〉は、ある種のコレクション
もしくは、そのリストかもしれない。
ゲームなどでいう
クエスト、サブクエスト、ミッション🎮
クリアが仮に体験だったとしても
スタートは話を聞いたりの
擬似体験や
目的へと向かう想像的体験からだ🎯
苦楽の体験と経験値
大雑把に言ってしまえば
苦楽を体験した時の気持ちとは
苦しい体験であれば
❶「もう味わいたくない」だろうし
楽しい体験であれば
❷「また味わいたい」だろう。
そこへ体感という擬似的/想像的な
感情が加わることで
苦しいことを
①「もう味あわせたくない」
楽しいことなら
②「また味あわせてあげたい」
と、俯瞰した観念になるように想える。
つまり
体験=1人称の経験値
体感=多人称の経験値
体験+体感= 新たな価値観の芽生え
であるような印象を覚えた。
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経験値を得るには
だとすると経験値を得るには
⑴肉体を向かわせること
⑵心を向かわせること
が、ある。
肉体=身体は、移動なども含め
タスクの切り替えも中々難しい
その分、集中して取り組むのには
適している。
一方で、心=精神は
移動、マルチタスクの面で身体よりも
適している。
当店は『横浜駅』にて創業39年目の
小さな個人経営のお店
《キシミール》🚿
ある意味、この場所に縛られているし
性格的にもインドアタイプである。
そんな自分が
仕事においても、人生においても
日々、微微たるとしても
経験値を得て成長を試みるのなら
『体験より体感を浴びたい』
=⑵心を向かわせること
柔軟に動く[感受性]
心、精神を養いながら
生きていて出会う
ささやかな体験にも、より感動をプラスした
《経験》を贈りたい❤️🔥
さいごに
苦しく、悲しく、つらい
そんな体験談や物語、作品から
擬似的体験、想像的体験を得て
自己だけでなく周りへも
感傷を働かせられるようになったとしても
実際に出会し、体験する
自身の苦しく、悲しく、つらい
実体験では
「どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか、、?」と
否定的感情に打ち拉がれてしまう。。
だけれど
私は、アナタは、そんな感情を導く術を
何も持ち合わせていない訳ではない🪧
自身の体験もまた、
自己の、誰かの体感なのだから。
心の精神の成長過程では
一筋の、弱々しい光かもしれない
だが、悲壮でも奮い立たせてくれるのは
苦しいことを
①「味あわせたくない」と
日々、地道に[感受性]を宿そうと
試み続けている
私たちの【信念、志し】
それこそが
迷ったとき、負に陥りそうなときに
道導べとなる✴️
苦楽という経験値も一種のアイテムであり
それをどう扱うか?によって
導き出される《経験》も
変化してゆくのだろう🪄
◆苦しいことを、自身へ他所へ
背負わす使い道
◆楽しいことを、自身や他所を
堕落させる使い道
私は出来るのなら
苦しかったことも、楽しかったことも
自分の誰かの
好転へのヒントに、キッカケに
リサイクルされるのを望もう💫
生涯で集めた《経験》のコレクション📕
これを生き様と呼び
遺った軌跡を
新たな価値観の芽生えへの
養分となれる、その日まで🌸

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