【忘れるは最大の記憶力?考えを抱え過ぎない為の予防思考】
心身のパフォーマンスと自律神経
身体のバイオリズムをあらわすのに
–活動的、意欲的な作用の
・交感神経
–休息的、安静的な作用の
・副交感神経
というキーワードをよく見聞します📕
双方のバランス、安定が取れていると
「精神と肉体とが、よく動き、よく休まる」
と、謂れている訳ですが
◆頑張っている人
◇顔晴りたい人にとっては
・交感神経のスイッチが
なかなか抜けきらず
次第に疲労を蓄積させてゆき
コンディション、体調を崩す場合も😰
んなわけで今回は
『忘れる』能力を活かす視点から
“心身のパフォーマンス向上“を
模索する記事です✍️
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記憶力の本当の凄さ?
記憶力というと
「物事を覚える力」と認識しますが
記憶力の本当の凄さとは
『忘れる力』〜
別の言い方をすると
『無意識に身に付いている力』
ではないのか?と
《キシミール》は、考えさせられます🤔
少しややこしい言い方ですが
「覚えよう」としている段階では
「覚えている」という自覚がないと
発揮出来ない、とすると
『忘れるように覚える』
『覚えたら忘れる』のような感覚で
記憶に詰め込むイメージではなく
〈心身に染み込んでゆく〉認識で
捉えている方が
緊迫感ではなく安心感のもとで
知識と向き合える気がしました💡
〜しなければならない、〜すべき
◆もっと頑張らなきゃ!
◇もっと顔晴りたい!!
そのために
〜しなければ、〜すべき、
と、どこかで緊迫感、緊張感
プレッシャーを自身へ加えている。
それが適度だったり
良い作用をもたらす場合も勿論ありますが
悪い作用をもたらした場合は
♣︎イップス
♣︎ジストニアetc…
脳、精神、肉体に
多大な負荷を及ぼすことさえある😱
・交感神経を緩め過ぎると
・副交感神経が働き過ぎて
意欲や活力が鈍る恐れも、、。
だからこそ
・交感神経を緩めるというより
過剰なプレッシャー面を
『忘れる』で身軽にしてあげられたら。
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本番と練習、試合と練習試合
明確に仕事や学業などで
本番だとか試合がある生活の人以外は
常に日常が「練習(鍛錬)」になりがちだ。
ある意味、この課題を掲げて
考えを抱え込み過ぎるが故に
心身に過剰なプレッシャーがかかる、、。
これを本番/試合にまで持ち込んでしまうと
その道のプロでも状態を
崩してしまいかねない🏟️
では日常こそ練習試合の気持ちで
のぞむのはどうだろうか??
つまり取組むべきことの前には
課題を設けるが
いざ始めたならば
『忘れる』、を更に言い換えて
[自動化させる]
自然に心と身体がそう赴くような印象で
無意識、潜在意識に手が届かなくても
ノックするイメージを養いたい🚪
さいごに
◆頑張っている人
◇顔晴りたい人にとっては
「注力」している量
いかに思考や体力を駆使しているか?
で、自分の評価だったりを
はかってしまう。。。
先ずは結果より成果を見たいし
成果が結果に結び付いたのなら
それは素晴らしいことだ✨
たとえ結果が良くても
成果として自分や周りの人の
心身が傷付いたり
本来目標としていたカタチ、カッコウとは
かけ離れてしまっていたのなら
本心を押し殺して
「そういうものだ」と納得を強いる
生き方になるのではないだろうか?
《キシミール》は
【最善(ベスト)を尽くす】
生き方を、生き様を志している⛩️
【最善】を上記の「注力」の話に
置き換えた場合
思考や体力を駆使することが
【最善】なのではなく
【最善の成果のために尽くす】
と、いえるのだと想う。
この信念さえ日々、育んでいるのなら
成長へ向けて取組む課題については
抱え込み、詰め込み
零れ落ちるプレッシャーと対峙せず
自分に染み込む量だけを
分相応に少しずつ吸収してゆくように
無理にではなく
自動的に、自然的に内へと注ぐ。
インプットは
自分の容量を超えては入らない
けれど
アウトプットは
潜在能力、ポテンシャルとともに
自分の容量+魅力を合わせて
発揮出来る可能性を秘めている。
情報社会
情報弱者が劣るわけでも
情報強者が優れているわけでもない
情報を濾過し
自分の中へ潔く、染み込ませ
そこから
自分を発色させてゆく
“振舞い“にこそ
優しさを宿せる試みをして生きたい🍀
「忘れる」とは
嫌なことや不都合なことに向けてだけでなく
『忘れる』とは
[身に宿す]という面でも活用したい。
そう、忘も恵となる。
心に何を注ぐかで変わるのだろう🫗

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