【コトバを成長させる方法?カタカナで創る一歩先の想像力】
文字には力がある
言葉に力があるのは
応援だったり、励まし
何気ない会話などからも感じられる。
それと同様に
目に映る〈文字〉にもやはり力がある📖
▷意味としての力
▷響き(音)としての力
▷視覚、自覚としての力
さらにシチュエーション
天候、気候、気温、景色、情景、場面
声をかけてくれる、贈ってくれる相手
さまざまな要素で、より力強くなる。
この[言葉]・〈文字〉の力を
もっと惹き出す方法はないものか?!
今回はこのテーマを
考えてみたくなり筆をとりました🖌
日本語という言語
私たちの母国語、公用語である
日本語🇯🇵は
どうやらカワリモノだそうで
歴史的には
もともと〈文字〉がなかったために
会話の言葉と
書物など文字を記す言葉は
長らく別の用い方
異なる示し方になってきました。
要は喋り言葉は
・旧来の日本語
文章に関しては
・中国などの漢文からの
翻訳を施した“文語文“
明治以降の書物などでは
より会話での言葉遣いに近い
“口語文“での表現がふえました。
が、現在も尚、日本語は
ひらがな、カタカナ、漢字の
三つの文字を用いる
珍しい言語のようです🗾
横文字、カタカナ言葉
日本では
西洋語やアラビア語などをあらわすのに
「横文字/カタカナ言葉/和製英語」なんて
茶化して言ったりします。
現代人にとっては不思議な感覚ですが
第二次世界大戦前
昭和初期までは
ひらがなよりカタカナの方が
主に使用されており
そこも西洋の雰囲気を積極的に
吸収して飲み込もうという
気持ちがあったのかも分かりません😳
(勝手な想像です、笑)
ともあれ
《キシミール》は想います。
『カタカナをもっと活用してみたい』と。
カタカナの存在意義
都市伝説的ですが
「カタカナは角張っていて力強さ、逞しさ、勇しさ、攻撃的な要素があるため、視覚的に日本人を高揚させる恐れを避けるため、GHQに使用を禁止された」
なんて、まことしやかに語られます。
真偽は分かりませんが
確かに▷視覚、自覚としての力
は宿ると想いますし
カタカナって不思議な存在感を覚えるのは
《キシミール》だけでしょうか🤔?
これも私感ですが
西洋語、アメリカ英語へ、
謎のカッコ良さを抱く気持ち
そんな「憧れ」のもう一歩先
『外国語を日本語にしちゃうカタカナ』
という吸収力が
秘められている気がするんです⛩
英語の影響力
世界を見渡すと
使う人口が多い言語は
スペイン語、中国語なども
思い浮かぶものの
やはり「英語」が世界共通語
という圧倒的な印象があります。
日本でも政治家とか
アーティスト、アスリートが
西洋語、もしくはそれ由来の米英語を
意思表示、キャッチコピーに用いりますが
いい面での表現、情緒、
影響は吸収しつつ
かぶれたり、知ったかぶったり
その国の権威を借りた言葉として
「発する」というより
もっと日本語、カタカナとして
『届けて』欲しいなぁと。
まさに『ブラボー!!!』という
和洋折衷さ
ちょっとヘンテコだけど
“なんかスゲえーな!笑” って
そこに付け加えて
『歓喜/賞賛/喝采』
という日本語としての意味合いも見直す
そんな“カタカナのチカラ“を
充実させてゆけたら面白い。
さいごに
こうしてブログにて
〈文字〉を紡ぎ〈文章〉を綴っていても
◇カタカナの強調力
をとても感じます。
♧力をチカラ
♧宝をタカラ
♧技をワザ
外国語の代替としてだけてなく
日本語の発展形としても捉えられます💡
実は深い意味のない事柄なのに
カタカナで表記することで
♤何かが含まれていそうな
♤何かが生まれてきそうな
そんな想像・雰囲気が漂いませんか?
《キシミール》は
何故だか、そう感じるんです❤️🔥笑
▷意味としての力
▷響き(音)としての力
▷視覚、自覚としての力
さらにシチュエーション
天候、気候、気温、景色、情景、場面
声をかけてくれる、贈ってくれる相手
さまざまな要素と
自分がもたらす想像力で、より力強くなる。
〜カタカナ変換は
“自分由来のセーブポイント“
軌跡、足跡、辿り着いた現在地🐾
そしてそこから見渡す
【未来へと続く道】
創作語、造語に近い顕れように
《キシミール》は
今回の記事を書き進めながら
そういった印象を持ちました。
なんでもかんでも
カタカナで著すということではなく
漢字、漢字の種類、
語彙の幅以外にも、語感、韻、
そして、ひらがな。
色とりどりの〈表現〉
生き様という物語の中で訪れる
自己創作(イメージを込めて)で
勇気、活気、元気、落ち着きを宿せる
合言葉、フレーズ、スローガン
“自分由来のセーブポイント“を作れたら🍀
《キシミール》も
必要としてくれる誰かにとっての
そんな【居場所・拠り所】で在りたい。

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