【死に物狂いについて考える。個人事業主の人生観】
武士道とは死ぬことと見つけたり
肥前国佐賀藩鍋島藩士・山本常朝の
『葉隠』にある有名な一節。
儒教的士道論の時代においては
禁書/奇書としても扱われていたそうな📕
“生か死かの選択に迫られた時
死を覚悟してのぞめ“
やんわりと捉えると、こんな感じだろうか🤔
もし〈決死の覚悟〉と口に出したら
現代の感覚だと
「前時代的だ!」
「命を粗末にするな!」と
批難されてしまいそうな価値観だけれども
本日は、そんな
【死に物狂いについて】想いを巡らせる
記事となります✍️
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葉隠を読んでいるのですが
当店は『横浜駅』にて
創業40年目に入った小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》です🧺
最近、岩波文庫から出ていた
『葉隠』を読んでいるのですが
1941年に発行された本で
(読んでいる古本自体は1991年に再発行)
平易な現代語訳ではないので
さっぱり頭に入ってこない状態です。。笑
さて、文中では武士の時世の価値観や
山本常朝の想いが綴られています🖌️
この中でさえ「最近の者は…」みたいな
嘆きがあったり、だからこそという
培われた精神や信念が込められているように
感じさせてもらえます🏯
死ぬ気でやれ、死なないから
“死に物狂い“を
現代式に言うと↑こうなるのかもしれない。
しかし、あやうくパワハラぽくもなりかねないし、どことなくの違和感も拭えない、。
《キシミール》が想うには
やはり他人から言われたり求められることではなくて
[本人がどうしてゆきたいか?]が
本筋なのかと考えさせられる🧐
“死に物狂い“と表すと狂乱してそうだが
〈本気、真剣、大真面目〉になれること
居られることは、自分にあるだろうか??
死と対となる、生命力なる心意気
それが宿る、宿らせられるおこないを探りたい。
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精魂が希薄なのかもしれない
死を意識するということは
生命を実感し、さらに生命の息吹き
鼓動、炎、熱量を覚えることにも想える❤️🔥
◆なんとなく生きている、とは
=命を大切にしている、とも異なる
◆生きていることが当たり前、も
=命を尊んでいる、とは差異がありそう
当然、他人さまに迷惑がかかる場面で
狂気的な言動は御法度だが
精神や魂、己が命を震わせる
生命力をフルで発揮しきるには
◇死とのコントラスト
◇死との向き合い方
[いずれ死があるからこその生き様]を
狂おしく、愛しく、貴び、
有難がるのも一興なのではないか。
さいごに
《キシミール》個人的な見解だが
“死に物狂い“になれるとは
生命たる魂の解放のように想えた。
ドラゴンボールでいうところ
☆スーパサイヤ人
ワンピースでいうところの
☆ギア
覚醒するには
死の淵と命のたぎりの振れ幅みたいな
そんなイメージが浮かぶ🧭
話が突飛になってしまったが、、
つまるところ《キシミール》は
“ちゃんと生きたい“のだ。
いつも、毎日を
〈決死の覚悟で、死に物狂いで〉
生きていたら、それこそ
心身が保たないかもわからないし
持て余したり、周りを悪酔い
させてしまう恐れもある🍷
だから、程々に
けれど確実に、それを味わってみたい
我の生命力のフルパワーを
体感、経験して
脳に、全身全霊にインプットしておきたい。
あとはそれを如何なる時に
▷振舞いとして日常の表現に加えるのか?
きっと簡単には
自分を活かしきり、惹き出すのは叶わない。
地道に着実に自分を育み
導くことが必要だろう🐾
成長出来ることが歓びだ🌱
成長し続けることが生き甲斐だ☘️
それは徐々に寿命が尽きる日へと
歩む道でもある🛣️
そうか、【最善(ベスト)を尽くす】
潔く、分相応に励むことも
“死に物狂い“の一種なのだろう🌸
さぁ、この命を使い果たし
何が遺せるのか、愉しみに
〈本気、真剣、大真面目〉一生懸命に
私の生き様を、今日も刻むとしよう⏳
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