【言挙げ(コトアゲ)について考える。経営者の有言実行への道のり】
言挙げ(コトアゲ)とは?
日本の神道において宗教的教義/解釈を『コトバ』によって明確にすること
言葉に呪力があると考えられていた時代には『無闇に言葉にすること』は慎まれた
現代でも
・口は災いの元
・縁起でもないことは言わない
のように良い面でも、悪い面でも
〈コトバのチカラ〉の存在を
なんとなくは感じながら生きている🇯🇵
もっと有名というか
言霊(コトダマ)という言い表し方には
馴染みがあるものの
言挙げ(コトアゲ)には
親しみがなかった…
てなわけで本日は
【有言実行への道】と題して綴る記事です✍️
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言葉にすることで生じるさまざま
当店は『横浜駅』にて4月で
創業40年目に入る小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》です🧺
今でこそ当ブログにて
▷経営理念、信念
▷どういうお店にしたいか?
▷どんなお客さんたちと事業を育てたいか?
などを書き遺し、それらを読み、通じて
親近感や興味を抱き、ご来店くださる
〜そんな流れや縁を
感じられるようになった☘️
これも一種の
言挙げ(コトアゲ)の成果とも言えます✨
と、同時にこれは言挙げ(コトアゲ)の
怖い部分も多分に覚える結果
とも言えるわけです😥
ビジネスコラム | 創業39年目|『横浜駅』の裏事情・情報ブログ|個人店【キシミール】
言挙げ(コトアゲ)は、はばかられる
現代では日本人は外国人に比べて
「ハッキリとモノを言わない」
▶︎それが弱点である
ようにも捉えられ
しっかりと発言に表す、気持ちを強く示す
方が良いとの認識になりつつあります😳
さて、言挙げ(コトアゲ)の成り立ちは
といえば、どちらかと言うと
『無闇に言葉にすることは慎め』です🙊
《キシミール》個人的には
ハッキリと発言に出すことは
◇回答、応答、返答に対してはそうしたい
けれど心の内、胸の内
特に“志しの面“においては
(悩みに関しては適切に相談をしつつ)
「口にする」のは慎んだ方がいいと
痛感することが多くあるんです😓
口にすると、言葉にするの違い
微妙なニュアンスですが
「口にする」=発言するのと
『言葉にする』=心の声、文字
の違いに[注意が必要]との思考です🤔
現代では、ややこしいことに
SNSなども「もはや発言」だと感じます📱
一方でホームページやブログは
SNS、YouTubeなどのプラットフォーム
に比べればですが
まだ私有地的な場になる🏠
とはいえ、この場においても
言挙げ(コトアゲ)の用いかた
表現の仕方によっては
やはり慎み深く、慎重に
〈コトバのチカラ〉と付き合わねばと
考えさせられる《キシミール》です📝
さいごに
有言実行。
《キシミール》もそうすることに
憧れたり、あやかったりして来ました📢
ただ現在は、むしろ極力
『したためる』『おさめる』のような
イメージで、心の声、文字
つまりは己の
♤志し
♤精神
♤魂
を築き、育み、導きたい🛣️
それは正に
『無闇に言葉にすること』は慎みたい。
矛盾するようですが
《キシミール》はこれからも当ブログにて
事業や人生の経営に対する信念を遺す📙
しかし、これは
♣︎何かへ物申すための発言ではなく
♧自分の意識/我が生き様への予備録
であり
けっして「説くコトバ」ではなく
たまたま誰かに
伝わるかもしれないし、届くかもしれない
もしくは全く響かなかったとしても
自分の作法として遺す
生涯という作品なのだと想う🖼️
言挙げ(コトアゲ)の“挙げる“は
物理的に上にあげるでもなく
例えを列挙するだけでもなく
[成る]などに近く
変化の状態をあらわす意味合いにも
読み取れます👓
それが《キシミール》には“成長“に映る👀
言葉として挙げることで
⑴カタチを現すのに始まり
⑵そのカタチがどう成長するか分からない
そう、善くも悪くも育ってしまう
それくらい人の欲深さや執念深さまで含めた
戒めの意味合い😱を
内包しているのかもしれない。
であるならば
言葉を挙げたならば
ただの、その場だけの
発言や表現で終わらすのではなく
その“成長“のさまを、行く末を
気運の道案内にも心を宿したい❤️🔥
「言ったことに責任を持つ」にも似ているけど
またちょっと異なる
『私のコトバを育み、共に育ち』
それが、いつの日か
実となり、花となる🍊🌸
言うから叶う=有言実行より
“言葉を有り難がり、それが実るおこない“
=有言実行の精神で
《キシミール》は、地味に地道に愚直に
人生の経営を続けて参ります🗻
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