【”孤独/何も訪れない日々”から学ぶ、穏やかさを糧に】
何でもないようなことが、しあわせだったと思う
そんな歌詞で有名な曲がありますが
平穏なこと、平安なことが
何よりも尊いのだと
『横浜駅』で創業39年目に近付く
当店《キシミール》は想います☺︎
確かに
▶︎お金持ちだとか
▶︎地位や名誉があるだとか
▶︎富と名声で慕われ羨望されるだとか
そういった[刺激]に
気を引かれることもある。。
しかし今回は、その反対♻️
ともいえる
“孤独/何も訪れない日々“から学べる
【穏やかさ】について
考察、綴ってゆきます🖌
失うのが怖いからではなく
例えば恋愛観を表現する
歌や文章、作品などで
失うくらいなら(傷付くくらいなら)
「出会わなければ良かった」的な
台詞があったりします。
今回の記事に込めたいのは
決してそういう類いの
“孤独/何も訪れない日々“ではなく
何事も〈起こる/起きている〉中で味わう
“孤独/何も訪れない日々“
自分に関わりがあることも、ないことも
起きた過去も、起きるかもしれない未来も
今現在、自分に何もない場合の
境遇も環境も
全てひっくるめて
受け止めたうえで【穏やかさ】を覚える
そんな捉え方です。笑
口達者は色眼鏡で見られる?
◆口は災いの元
とはよく言ったモノで
達者/器用な人物や多感な性格は
色眼鏡で見られたり、いろんな物事を
意図せずに呼び込み、招き寄せたりもします。。。
その[刺激]的な才能が
◆頼られる
◆あてにされる
◆時には利用される
だからこそ
日本の古くからの価値観に
『黙って背中で語る』みたいな
黙々とした生き方があったり
それらも紐解けば
中国古典の儒教や道教などの
精神や学問に由来するところかと📖
つまり
「何かが起こるところに禍福が生じる」
『しかし天や道(自然)はそれだけで貴重で有難い』
だから、わざわざ
“自ずから起こす“ことは
「持重(じちょう)すべきだ」という捉え方。
受け止めるとは何なのか?
▷自分から余計なことはせず
▷身の周りで起こることを受け止める
↑を文字にしただけで
苦行のように感じます、。笑
けれど言い換えれば
◇善いと想えることをして
◇善いと想える取捨選択で道を築く
とも、言い表せます🎨
・善いを、受け入れて
・不穏を、受け流す
それらの取捨選択をするために
〈受け止める〉というイメージ。
哀しいこと、狂おしいこと
切なく、引き裂かれそうこと、
その中にも“善い“のツボミがあり
内側の種を、そこから芽を、花を、と
育んでゆけるのだと🍀
全てひっくるめて
受け止めたうえで【穏やかさ】を覚える。
さいごに
“孤独/何も訪れない日々“とは
それこそが
平穏なこと、平安なこと
何よりも尊い
【穏やかさ】でもあります。
♤誰かと居られる
♤何かと過ごせる
そういった【穏やかさ】の
更に内側には
“孤独/何も訪れない日々“という
核の【穏やかさ】が
秘められている気がします。
要するに0の価値を感じることで
自分を取り巻く1や2…3…と、
【穏やかさ】という
衣を、ぬくもりを、煌びやかさを
まとえている、歓びが重なっていっている🧵
そしてその織りなしが
縦の糸、横の糸
『しあわせ』ともうたわれます🎤
私は、
“独り“を惨めに想う時
同時に『誰にもこの惨めさを伝染させずに済んでいる』という安堵感もある。
孤独が辛酸を増させるのではなく
苦渋が他を退けたり、妨げたり
場面によっては、誰かに当て付け
寄せ付けなくさせる。
その結果が
‘孤独であり、何も訪れない日々‘
なのだと、連想されてしまう、、。
私たちは独りだから
アナタを、誰かを、何かへと、
光のような、あたたかさのような
希望のような感情を抱く。
現時点では
“孤独“なのだとしても
◇善いと想えることをして
◇善いと想える取捨選択で道を築く
そのアナタの意識、志し、振舞いが
“何も訪れない日々“の向こう側
一歩先の未来への道しるべとなり
やがて、もたらされる
ひとり、ひとりの生き様と成る。
▶︎お金持ちだとか
▶︎地位や名誉があるだとか
▶︎富と名声で慕われ羨望されるだとか
が、悪いわけじゃない
けれど、そこへと至る、
目標や夢や希望に向かう道のりは
◇善いと想える取捨選択で
道を築いていこう🐾
今日も明日も
世界に【穏やかさ】が
増してゆきますように💫

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