【恵み/施し/お裾分けの違いに気を付ける。事業での人との関わり合い】
自分の可能性を考える
“私(僕)は天才でもないし
努力を重ねたって秀でた
何かを発揮出来るとも限らない“
かといって
『可能性(ポテンシャル)のない人はいない』
分相応だとしても必ず一人一人に在る
成果を育み、自身を成長させる道へ🛣️
では我は何のために能力や魅力を
惹き出したいのだろうか?
それは自分のためだけにだろうか??
そんな本日は
【恵み、施し、お裾分けの違い〜】と題して
己を磨き、養い、導く方向を
試行錯誤してゆく記事です✍️
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自分のためからのスタート
[他人さまのために]
それを実現している人物は確かに立派だ✨
かといって
“自分のため“からのスタートが
必ずしも的外れな訳ではない。
〈身に余る〉…つまり
分を超えたモノは、誰かや何かへと
還元するところからでも良い筈だ🎁
地力を付ける、高める
先ずは半人前、一人前と礎をかけて
そして、やがて
誰かのためにも、何かのためにもと
私の能力/魅力を役立てられるなら
それは歓ばしいことだ🏁
特別な人材じゃないけど
格別に携わる立役者の1人である🌈
恵み、施し、お裾分け
・自分のためであっても
・誰かのためであっても
その恩は何処から来ているのか?
それについて深く考えたことがなかった。。
例えば:
恵みならば〜好運や思いがけぬ
①いただきものという感覚
施しならば〜与えられた、与えるべきだと
②慈悲のような感覚
お裾分けならば〜活用であり、お礼でもあり
③身に余る“福“を適用する感覚
《キシミール》の私感
イメージではあるけれど
きっと自分があらわす/もたらせるとすれば
②か③の場合が身近な気がする🤔
ならば③お裾分けの精神が善いなぁ☘️
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モノと心と福と徳と
恵み、施し、お裾分けにも当てはまるが
その恩を「モノに感ずる」のか
それとも“福とか徳が宿っている面“に
『心を揺さぶられる』のか
によっても
有り難みという養分に変化がありそうだ🧐
一旦モノは置いといて受けとめると
①恵みは、福の気配がする
② 施しは、徳の気配がする
③お裾分けは、福の気配がする
どれも誰かや何かのためにおこなえるなら
立派だと想う🎖️
と同時に《キシミール》は
『徳』とは自ら積むのではなく
自然と積まれる、貯まっている
巡ってくる、訪れ、連れ合う仲に想う⛩️
さいごに
もちろん他人へ②施す際にも
『徳』を得ることばかりを考えて
行動する訳ではない。
仮に見返りを求めない②施しによって
『徳』を積み重ねられるのだとしても
その『徳』は自分にしか帰せず
相手には②「施しを与えてくれた」
「私も施せるようになりたい」
という自己の『徳』との関係
観念へと繋がりそうに思う。
それはとっても凄いこと😳なのだけど
《キシミール》には高尚過ぎるというか
何故だか、しっくり来ない😢
③お裾分け
自分の能力/魅力を惹き出そうと試み
一人前、一丁前へと
地道に階段を登りながら🪜
成果に①恵まれたり
成果を育めた、環境、実りに
分相応を覚えたら
その余剰分〈身に余る〉
“福“を誰かや何かへ、お礼として
活用をして、もらえるように贈る💐
その先にて『徳』が訪れ、巡り
私の人生と共に歩んでくれるのなら🐾
自ずから『徳』に対して
求めたり、期待したり、待ったりはせず
潔く、清々しく
慎ましく、共生が叶うように想う🪨
③お裾分けとは『応援/エール』なのだ
♤私の“福“を〈お陰さま〉のお礼に
または
♤私には使い切れないので活用してください
“アナタの人生のお役に立ててもらえたら“
共に顔晴ろうね!の意味なのだと
《キシミール》は勝手に解釈している。
♧おもてなし
を現代では「当然のサービス」かのように
受け取る向きもある。
しかし本来は
♧おもてなし の反対、返礼には
♧おんがえし が輪となり循環する
そういう③お裾分けの精神が
根底にあるのではないか🍀
《キシミール》は恩返しが出来るほどの
実績も器も人柄にも満たない、未熟者だ。
なればこそ
地味にでも③お裾分けから愚直に志そう❤️🔥
似た想いを抱き
[志しが合う人との縁]
志合わせ(しあわせ)を感じながら。
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