【”自由に好きなことをして生きる”が招く違和感/嫌悪感の正体とは?】
嫌なことはしなくて良いのか?
◆自由に好きなことをしよう!
確かに憧れる生き方です✨
では、
“嫌なことはしなくて良いのか?“
それは少しニュアンスが違くて
◇嫌がられることはしない
◇嫌なことを愉しいことへ変えるには?
そういう気概を持ちたいと想わされる。
そんな、人それぞれの
家庭環境、職場環境、人間関係
境遇などなどの中で
◆もっと自由に好きなことをしたい!
と、思い描くカタチ🧩
しかし最近◆この価値観や言動の中に
「違和感や嫌悪感」を覚えてしまう。。
それは何故なのか?を
今回は紐解いてゆく記事です🗒
好きなことの方がチカラを発揮できる
“苦手を無理に克服するより
好きを伸ばす方が効率的“
それは一理ある。
けど今、抱いているのは
「好きなことをしている人」を
妬む感覚ではなく
〈好きなことをしている人の振舞い方〉に
ついてなんです。。
例えば
自由に好きなことをしている人が
・他人に迷惑をかけていない
・俺、私の勝手だろ
と、振舞う姿には
「違和感や嫌悪感」が漂っている、。
せっかくの「好きのチカラ」を
悪い方へ発揮させていたら…😱
好きなことで誰かもチカラを発揮できる
本当は
『好きなことに取組むことで、自分だけでなく誰かもチカラを発揮できる』
そんなカタチを
築きたい・築いていきたい
ハズではなかろうか🤔?
直接的でなくとも
人は周りへ影響を与え、及ぼす、、。
「思慮のない/配慮に欠けた」
▶︎自分の好きなことを好きなようにやって生きる より
『目標/志し/実現/未来へ向けた』
▷自分が“好き“(なように)をやることで、自分にも周りにも成長や育みへのヒントを遺す
そういった念で
《キシミール》は日々を過ごしたい🍀
お手本や見本の前に、自分の存在感を
若い人だけでなく
大人だって
周りの人を、世間の風潮を
無意識に基準、お手本/見本に設けている。
♣︎どうせ日本の未来は暗い
♣︎人生は楽しんだもん勝ち
そんな世相を真に受けて
人前で〈自由や好き〉を
■ひけらかしたり
■見せびらかしたり
■向こう見ずに振る舞わず
もっと
慎重に、丁寧に、言葉と身振りで
伝えたい分を、伝えたい分だけ
♧好きな人に真摯に礼を伝えていい
♧好きなことに真剣に打ち込んでいい
それらを慎ましく、慎み深く、
分相応に表現する人間味
存在感こそが大切に想える。
さいごに
今回、想いを巡らせた
“自由に好きなことをして生きる“が招く
違和感/嫌悪感の正体とは?
そうする生き方を
♠︎解放感 だと解釈して
不自由という鎖で縛られたくない⛓と
心の内側から溢れでてくる
「激情(渇望)」で接することではないか?
良くも悪くも感情のリミッター
心の制御、操縦が乱暴になってしまい🚘
大きい声を出したり
大きい身振りをしたり
気が大きく、高いこと
ノリとかイキオイなどなどの承認を
他人や世間にまで求めたり、、、、、
〈自由や好きなこと〉には
確かに
♤開放感 はある
いうならば
『田舎で鍵を閉めずにいる家々』
みたいなモノかと🏡
だからこそ
ひとり、ひとりの振舞い方、為人
人柄があってこそ現れる
認め合っているカタチが浮かび上がる👀
冷静に捉えて
現代は少し前、100年未満の過去と
見比べ、振り返っても
圧倒的に衣食住が整っている。
だから娯楽も職の選択肢も
多岐にわたる。
私たちを縛っている、縛られたくない
と叫びたくなる、その鎖は
実は自分たちから縛られている
絡まった“自由による不自由“にも見える👓
私たちがおこなう
〈自由や好きなこと〉には
◇嫌がられることはしない
◇嫌なことを愉しいことへ変えるには?
そういう気概が含まれているだろうか?
『目標/志し/実現/未来へ向けた』
意識やメッセージを込めていても
▷自分が“好き“(なように)をやることで、自分にも周りにも成長や育みへのヒント
を遺すことが出来ているだろうか??
反面教師もヒントになるけれど
できれば
家族に友人に知人に周りへ
【格好善いなぁ】と
しんみり沁み渡るカタチ
を遺す人生、生きざまにしたい🪦
大袈裟なやり方にのまれず
☆挨拶を交わしたり
☆相手を想い遣ったり
☆お互いにお礼を伝え合う
小さいことから
積み重ねることで想い描く
パズルみたいな毎日。
《キシミール》の歩む先は
地味で地道だけど
人生のトータルは善い作品で
在り、成りたい🖼
【良い人より善い人を目指す。事業主/経営者こそ持つべき?肝】

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