【”ゆっくり”と”じっくり”の違い。事業者なりの時間との付き合い方】
時間の使い方が上手になりたい
『横浜駅』にて
創業39年目に近付く当店
ファッションヘルス
《キシミール》は
“時間の使い方“が下手くそです😥笑
もし我々も
〈時間との付き合い〉が
器用だったり、上手だったならば…
と、痛感したり、悔いを感じる
今日までの数十年。。
けれど
“時間の使い方“が
下手くそだったからこそ
学べたり、覚えたり
ともすれば『自分なりの型』を
見出せそうな、原石にもなり得たり💎
そんなわけで今回は
磨き方次第な
“時間の使い方“
〈時間との付き合い〉について
《キシミール》なり/事業者なりの
捉え方を綴ってまいります📝
ゆったりと、のんびりと
[沖縄タイム]なんて言葉があったり
「都会と田舎では時間の流れが違う」
のようにいわれたりしますが
例えば《キシミール》という空間。
と、申しますか…
《キシミール》を営む
私たちの生活リズムや醸し出すテンポ
腹時計だとか、体内時計みたいなモノで
『環境』という体感時間は
変動するように想えます🕰
なので実際の時間は
誰にでも平等な速度で流れてはいるけれど
《キシミール》的には
[ゆったりと、のんびりと]を
体得して、身に宿して、
生み出せるように🏝と、考えて
人生の経営をしています🐢
ゆっくりと、ほのぼのと
これまたイメージ論かも分かりませんが
前項で述べた
[ゆったりと、のんびりと]と同様に
[ほのぼの]も
実際の時間の進み方や
動作そのものの速度を表すというより
◇身体の中で、心の中で
◇精神、心理的な意味で
緩やかにコトを運ぶ描写を
表しているのだと、捉えています。
一方で「ゆっくり」については
時間の流れ、動作そのものの速度
〈実時間として遅い状態〉だと
定義しています⏳
似ているようで微妙に違う
体内時間と体外時間⌛️
じっくりと向き合う
《キシミール》は
〈体内時間との付き合い〉は
[ゆったり、のんびり、ほのぼの]を選び
〈体外時間との付き合い〉は
“ゆっくり“より、“じっくり“を
選択しています🏁
では、“ゆっくり“〜
〈実時間として遅い状態〉に対して
“じっくり“とは何なのか?
《キシミール》的には
–可能な限りの迅速さでカタチを作り
カタチが見えたり、出来てきてから
見直したり、可能性を拡げていく様態。–
だと、捉えて実践を試みています❤️🔥
さいごに
スポーツや武道、芸術
その道を歩む際に
【心技体】と呼ばれる
つりあい、均衡、バランスの重要性を
あげられることがよくあります。
それと《キシミール》が
心掛けていることが
的を得ているのか、近しいことなのかは
定かではないけれど🏹
〈体内時間との付き合い〉は
[ゆったり、のんびり、ほのぼの]と
〈体外時間との付き合い〉は
“じっくり“と、をしいている状態とは
“好きなことに熱中している状態“に
類似しているのでは🤔?とも想える。
もし、ある意味で好きではないことも
あたかも“好きなことに熱中している“
かのように
取り組めるのなら
その経験や体験から得られる
感情や価値観や自信によって
未来には実際の
“好きなことに熱中している状態“にさえ
磨かれる💠可能性すら拡げている✨
状況によっては
死に物狂いで、一所懸命に
必死に取り組まなければならない
場合や状況が訪れるかもしれない。
そんな時、いざという際
私たちは全力を出せるのだろうか?
そういう自信に欠けるから
そういう自身に賭けたいから
【常に最善を尽くす生き方(振舞い)をしたい】
《キシミール》は
“時間の使い方“が
下手くそだったからこそ
『自分なりの型』を築くための原石である
有限な、貴重な時間を
贅沢にも
“じっくり“と使い、付き合い
我が道を地道に踏み締め、進んでいる🐾
お金のため、地位や名誉のため
生き急ぐみたいに
我武者羅な時間の費やし方も
してこられたかもしれないし
今からでも目指せるのだろう。
だけど、やっぱり
《キシミール》は無理はせず
周りにも無理は求めず
分相応に自分に出来る限りの、
未熟ながらでも、
【最善を尽くす】
この地味な生活リズムや醸し出すテンポ
腹時計だとか、体内時計みたいなモノ
《キシミール》という
『環境』と『生き様』を
体得して、身に宿して、
生み出せるように🏝
これからも
人生の経営を表現してゆこう🐢

- LINE追加(QR画像をクリック)で


