【拮抗筋のように対となる感情、”拮抗心”を想像してみるメンタルケア】
心の中は四次元
当然のように受けとめていたが
心の中は四次元だ🕕
今、この瞬間の感情もあれば
過去に抱いた気持ち
それらが芽生えさせる未来への念
さまざまな情や念が
泡やシャボンのごとく
沸き出ては飛んでいったり、しぼんだり
割れてなくなってを
繰り返しているみたい🫧
感情を言葉で表すとき
〈一塊〉にも想えるが
本当は色々が混じり合い
バランスをとりながら
カタチを整えようとしている🖼️
そんな今回は
葛藤とまではいかないが
[織りなす心情]について
想いを巡らせる記事✍️
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拮抗筋のように
生物の身体は
おおよそ拮抗筋と呼ばれる
対となる筋肉で動作をしている💪
片方が収縮して、片方が伸展する
その反対なら、逆の動きをする。
全てではないが
他にも身体は、目や耳、腕や足と
対となる性質を持っている。
生物学的な男女もそうだ👫
では、意識や精神、感情はどうだろう?
《キシミール》の勝手な想像だが
心情を身体でイメージすると
想い=細胞
感情=筋肉
意識=骨格
精神=人となり
無数の想いが感情という動きになり
意識がそれらを象り、人柄をうつす
この流れの中にも
ペアがあるのではないか?
対となる気持ち
前項で述べたとおり
想い→感情→意識→精神へと向かうにつれ
結び付いてゆく印象だ。
「美とは醜があるから存在する」
醜という概念がなければ美も存在しない
という話がある。
では〈想い/感情〉にフォーカスして考える。
私たちは大きく分けて
◇嬉しい◆悲しい などの想いから
◇福い◆不幸 との感情を抱く
その際、なんとなく
引き算をして残った方だとか
白黒をつけようと考えていた。
脳の計算機で
◇嬉しい–◆悲しい= 悲しいとか
◇福い–◆不幸= 福いだとか
だけど片方だけを
読み取る意味とは何だろうか?
共存や共栄はあり得ないのか??
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拮抗心があるとして
嬉しいけど、悲しい
苦しいけど、恵まれている
順風満帆ではないけれど
希望を築くために顔晴りたい。
理屈を捏ねなくとも
二律背反のように
同時に湧き起こる心情はある。
そして改めて
それらの対となる〈想いや感情〉は
共存させても良いのではないか?
いや、忘れることで救われるなら忘れよう。
だが、確かに〈想いや感情〉は
対に、ペアに、相互作用なのは
覚えていても良い。
極端、割り切り、振り切れる。
そうではなくて
拮抗している、惹きつけあっている
心は、偏りを浮かび上がらせるのではなく
心は、一つ一つが手をとり助け合っている🤝
さいごに
肉体も精神も意気揚々なとき
余計なことを考えず
突き進む方が勢いに乗れるかもしれない。
けれども
万能でもなく、万全でもなく
ましてや未熟ながらも
“より善く在りたい“と
弱い自分を鼓舞、成長させながら進む
生き方においては
肉体も精神も
可能な限り駆使して
全身全霊でのぞみたいと
少なくとも
《キシミール》は考えさせられる。
想いも感情も、揺れる、迷う、移ろう。
意識がそれらをなんとか支え
精神がワタシを保とうとしてくれる。
裏を返せば
揺れ、迷い、移ろうことこそも
拮抗している、惹きつけあっている
証拠であり
支えの、保ちの、幹なのだろう🌴
何故ならば
極端、割り切り、振り切れるとは
姿勢でいうところの
だらしがない、無作法な
態度、振る舞いを
もたらし兼ねないからだ🪞
つまり現状が、現実が
不安定であったり、不完全であっても
負の感傷も、善の良心も
手を取り助け合っているという気概❤️🔥
強く、逞しい気持ちだけでなく
弱音も泣き言も存在して構わないから
どれにも対となり、ペアがいて
見えないところで懸命に
共存、共栄の礎で在ろうと、成ろうと
一緒にワタシの有り様を
生き様を顕してくれている柱なのだ⛩️
《キシミール》は
心情、情念をそう捉えてみた。
そして面白いのは
ここまで述べた〈対〉とは
対義語のそれとは異なるところだ。
暑い=心地いい
熱い=苦手
などなど、十人十色の〈対〉がある筈。
どんな〈対〉を、心に持つか
宿した〈対〉と、どう付き合うか
自分自身というパートナーと
これからも切磋琢磨してゆこう🍀

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