【死生観について考える。人生の事業計画】
死に様を想像して
当店は『横浜駅』にて
創業39年目の小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》です🧺
長いようで短い期間、年数
この商売を続けさせてもらい
《キシミール》なりの
[出来ること]を模索しながらの経営の中
生業としても人生としてもの
生き様について色々と
考えさせられているのですが
それは、ある意味『死に様』との
表裏一体かとも想うわけで…
そんな本日は
『死』について考えることで
生きているイマを浮かび上がらせてみよう
と、言葉を紡いでゆく記事となります✍️
おすすめの記事【横浜駅の風俗店が何のためにブログを書いているのか?】
漠然と死について
「死ぬのが怖いか?」と問われると
死ぬこと自体はまだ怖くないけど
死ぬような苦痛
瀕死の状況は怖い😱
のが、率直な回答となりそうです。。
他にも例えば
生きてきた内の後悔
生涯でやり残したこと を想像しても
《キシミール》的には
『まぁ、それが実力だから、仕方がない』
と、イマは想います。
“いつ死んでもいい“
そんなつもりはないのですが
〈やれるだけのことはやった〉
未熟だったり、貧弱だったり
他人と比べて努力が足らないとしても
自分なりの【最善(ベスト)を尽くそう】と
試みていれば
死にたかないけど、死んでも
潔く納得したいなぁとは考えたり☁️
死がもたらしてくれるモノ
親族や知人、そして友人と
幾人かの死を見送ってきて
言葉は難しいけれど
死がもたらしてくれるモノ
思い出や色とりどりの感情
勝手に叱咤激励や
生きていることへ背中を押されたりもする。
それらは確かに
時間とともに薄れたりはするのだけれど
“遺るモノ“は確実に存在していて
何がとか、何をとかは置いといても
『死とは遺る』という
強烈な印象を《キシミール》は抱いている。
だからなのか
《キシミール》は
生き様を遺す死に様にしたいと想う。
おすすめの記事【リア充よりもジミ充が良い?”程々”から学ぶ経営マインド】
完璧じゃないことが完璧に
昔は完璧で居たかったし
なりたかったかもしれない。
出来ない自分、やらない自分に
ムカついてみたり、
宝くじみたいに、一発逆転の自分を
狙ったり、願ったりしていたかもしれない。
やがて年齢的になのか
環境的になのか
コツコツと取組むこと
そんないじらしい時間が
『完璧じゃないこと』
まるで本編じゃない
プロローグのような毎日が
実は死に際に走馬灯的に完結する
[人生の物語]というパッケージに
伏線として面白みや深みを宿してくれる
隠し味、秘伝のスパイスになるのでは?と
《キシミール》は
感じるようになっている🎞️
さいごに
効果や評価
目に見えて得られる
生涯の刻み方もあるだろし
地味や地道
身に染みて得られる
生涯の顕われ方もあるだろう。
仮に何をやっても
派手に映る人物もいるけれど
《キシミール》は
先ずはささやかな面こそ、繊細な面こそ
養い育み、成長を嗜みたい🌱
それはつまり
心だったり、精神だったり
それが顕れる
身振り、振る舞いなどだ。
コレは別に高尚な
スピリチュアル的な意味合いなどはなく
もっと少年マンガとか
“なんとなくカッコ善い“と
個人の腹の中で想うこと
厨二病的なポリシーみたいなモノだ🗻
人間として生きている中で
他人に見えていない部分
氣や念やオーラ
言霊や魂というような
我が身に秘められた
魅力やチカラがあるとして
それは生き様で磨き
死に様で発露する
《キシミール》は
勝手にそういう世界観を
死生観として想像している🌏
本人としては
未完成で迎える死があったとしても
未完成という完成品が
誰かの人生に色として
加えられることもある🖼️
私の死はいつ訪れるだろう?
今日かも、明日かも
80歳程度や100歳かも分からない⏳
肉体からか、精神からか
どちらかからジワジワと死ぬかもしれない。
だけど、やっぱり
《キシミール》が
やることは一つな気がする。
自分なりの【最善(ベスト)を尽くそう】
カラダが動くなら振る舞いで
ココロが動くなら言霊で
遺したいと想う❤️🔥
どういうカタチか
どういうカッコウか
それも試行錯誤しながら
これからも
人生の経営、事業計画を立ててゆきたい🐾
- LINE追加(QR画像をクリック)で



