【社会感覚の変容を想像する。個人経営に必要な歴史観?】
生活様式の変化
この20〜30年内の
身近な面を振り返っても
・スマートフォン
・インターネット回線
・オンラインサービス全般
を買ったり、契約したり、持ったりは
常識でない時代があった。
もう少し遡れば
・TVが1台あれば娯楽たり得たり
・家具や家電は何十年と大事に使うのが
当たり前くらいなイメージだ。
要するに昔は費用をあてがうモノがない
代わりに家や車や時計や洋服、お酒など
◇末長い良品へ充てる そんな価値観に想う
てなわけで今回は
【社会感覚の変容〜】と題して
現代を捉え直す記事となります✍️
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昭和〜平成初期を回顧しても
衣服は安物かデパート品
安価でお洒落な洋服屋さんは身近には
ほぼなく、原宿など都会に行かないと
流行品は手に入らなかった。
ジーパン(あえてそう呼ぶが)は
破れたらリペアに出してたり
衣服の穴は家庭で縫って使う、おさがりも
まだ当たり前だった気がする🪡
とにかく
▶︎直ぐに買い替える
▶︎個人が専用の物を持つ
そういう価値観はまだあまりなかった。
つまり物は共有する、使い果たす
だから〈長持ちのために大事に扱う〉
そんな暗黙の認識があったように想う🤔
現代人は消費が多い?
こうして少し考えただけでも
「皆んなが持ってる(してる)から」
「それが当然だから」
という意識のせいか
◆誰もがガジェットを所持し
◆シーズン毎のファッションをし
◆美容や健康、娯楽へ時間とお金を費やす
日々のクオリティに敏感で
日用品でのケアやメンテにも余念がない
本当はそれがどれほど豊かなことかを忘れ
もっと欲求や満足を求めてしまう。。
お金が足らないのではなく
バケツに穴が開いているかのごとく
心が枯れかけているようにさえ映る👀
もっと自分の心に栄養を巡らしたい
それには自分の精神性こそが潤いに想える⛲️
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資本主義とは消費すること?
どんどん物を生産して
ばんばん消費しなければならないのが
資本主義なのかもしれない🧐
それで社会が便利になるのなら
良い面だってある。
ならば、それにちゃんと有難がろう。
不満や不安より、とことん有難がろう。
《キシミール》は、そう想う。
社会に異をとなえる、一石を投じる
新たな変革が必要だとしても
常に有難いところを
忘れる人にはならずに居たい。
何が悪いかを追求するとは
何処の善いを伸ばすかと同義だ。
正義と悪ではなく、常に有難い[善い]へ
目を向け、心を開き、精神を清廉させたい❤️🔥
さいごに
“現代を生きる我々は、一昔前の生活様式と
比べてもお金と時間を浪費している“
もし仮にそうだとするのなら
自分に必要な[善い]を洗い出して
◇無くても困らないモノ(習慣)を
誰かに譲る気持ちで手放し
◇残った有難いモノ(習慣)には
感謝し歓びを目一杯覚えてみる
贅沢、潤沢に憧れる気持ちは分かる
だが、分相応を潔く愉しめたり
尊べたり、しあわせを堪能できる
そういう心意気の方が
人生の、自分だけの財産に感ずる。
当店は『横浜駅』にて
創業40年目に入った小さな個人経営店
ファッションヘルス
《キシミール》だ🧺
1人1人のお客さんが何度も頻繁に
活用してくだされば確かに売り上げは増える。
だとしても、必要な時にしみじみと
1回の有難みを堪能して歓んでもらえる方が
お互いにとってのご利益が高まりそうだ。
何事も依存したり、アテにしたり
何某かのオゴリを招くより
分相応に染み入る豊かさを
人と人との繋がりを、関わりを
縁や和を、有難がり
挨拶や慮りやお礼といった
ささやかな心遣いをお裾分けし合い
私たちなりの社会感覚を養えたらと想う。
昔に無く、今にあるモノも
昔にあり、今に無いモノも
等しく有難い。
今にあり、未来に無いモノも
未来にあり、今に無いモノも
同じく有難い。
世界は変容するだろうけど
心、精神、魂といった
個々の気配、在り方は
変わらずなのか、益々なのか
成長させていたいと
《キシミール》は想うばかりだ。
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