【人たる所以を問う|松陰の便り、第一講】

学は人たる所以を学ぶなり(松下村塾記)
→ 学問とは、人間として生きる道を学ぶことである。
この言葉を残したのは、幕末の志士であり教育者でもあった吉田松陰先生。
学問とは、知識を増やすことよりも
「人として、どう生きるか」を学ぶことである、と。
私は、低学歴だ。
けれど――どう生きるかを考え尽くし、己の生き様を選び取りたい。
そのために、私は「人間を学問」していきたいと思う。
私という人間を、どう在らせるかを探究したいからだ。
そう、これが、自分なりの学問。⸻
当店は『横浜駅』にて
創業40年の小さな個人経営店
ファッションヘルス《キシミール》です🧺
今回からのシリーズは、吉田松陰先生の名言や格言と照らしながら、現在の自身の生き方と向き合っていくモノ。
桜歌村塾、新たな道、その第一歩なのである。
⸻

作楽 吾子:
「えっ…!“人間を探究する”ことが学問なんスか!?
うわぁ…なんだか、急に自分の身体が奥深く感じてきたっス…!」
ビジネスコラム | 創業40年目|『横浜駅』の裏事情・情報ブログ|個人店【キシミール】
私は、“自身をレベルカンストさせたい。“
人生という舞台で、自分というキャラクターを、最期まで燃やし尽くしたい。
いうなれば個性とは、武器も防具もスキルも、人それぞれだろう。
・体力がある人
・話術に長けた人
・決断力が鋭い人もいれば
・包み込む優しさを持つ人もいる
肝心なのは、他人の専用装備は装着できない、ということ。
どれなに羨もうとも、「私は私の能力値で」挑むしかない。
だからこそ。
己というキャラを、受け止め、全うする。
強く見せるためとか、完成品を目指してというより、この生命、魂の上限を成し遂げるため。
と言った方が近いニュアンスになる。
与えられた欠点も、弱点も、全部ひっくるめて、味わいとして使い道を探る。
それが、私にとっての学問、生きる課題とも呼べるのだ。
▪️学力が
→知識を入れ、咀嚼することだとすると
▫️学問とは
→自分の可能性を発掘する作業だろうと思える
まだ認識できていない潜在能力、後天の能力が必ずや、誰しものなかに眠っている。
今日も一つ、何かを試してみる。
⸻
作楽 吾子:
「俺のウィークポイントも、ちゃんと持ち味があるんスね?!
そう捉えると…急に、自分の弱さまで成長のヒントに思えてきたっス!」
自分を生き抜く、と言っても。
何でもかんでも自由、というわけでは到底ない。
全ての物事には道理がある。
人として歩むべき筋。
それが、道徳であり、倫理観だ。
「仁・義・礼・智・信」
例えば、儒教では“五常“と言われたり、人類史の中でも世界中の「人間的在り方」として、さまざまな言い方で遺されてきた観念だ。
そして、これは、私の商いの土台でもある。
「自分さえ良ければいい」という選択肢は、最初から持たない。
私は、人と人とが応援し合う関係を模索したい。
直接でなくとも雰囲気として切磋琢磨できる関係を醸成させたい。
優劣や勝ち負けではなく、共に高め合う雛型をデザインしたい。
そのために、日々経営について考える。
この言動は前向きか。
この決断は胸を張れるか。
この想いは敬意を育てられるか。
学問とは、“選び方”を誤らぬための修練。
知識が増えても、選び方を誤れば、心根は濁り枯れていく。
だから私は、今日も最善を探り、選び取ろうと試みる。
穏やかな空間にするために。
優しさを想いだす場にするために。
⸻
作楽 吾子:
「確かに“穏やか“を根本にしないと、怒りや勢いにばかり任せていたら、シンドいっスもんね…!
優しさを反照することも鍛錬っと…✍️」
【女性キャストへの取り組み| 創業40年目|『横浜駅』の裏事情・情報ブログ|個人店《キシミール》】
では、実際の私はどうだろうか。
先人達の偉大な言葉に触れながら、本当にそれらを微小なりとも体現できているのか?
悩むことは多い。
迷うこともある。
弱さが顔を出す日だってしょっちゅうだ。
それでも、もう逸れないと決めている。
うまくやることより、地道に進むこと。
功績より、心根を正し、律する方向。
伸びた能力を誇るよりも、精神性を一段でも澄ませようと鑑みること。
私は、完成された人間には程遠い。
むしろ――
まだ鈍い石ころのようなものだ。
角もある。
重さもある。
汚れだってあるだろう。
けれど。
そんな石ころが自分なのだから、この石ころが手に馴染むように、丸く艶やかに滑らかに清い水で洗っていこう。
転びながらも、悩みながらも、極少ずつ。
私は今日も、“私という人間”を学問していく。
⸻
作楽 吾子:
「うわあ…!それ、庭園の白石や水琴窟みたいでカッコ良いっス、塾長!
石ころでも…研鑽を続けたら、美しい道となるってことっスね!」
吉田松陰先生の言葉は、他者へのメッセージのようで、己への覚悟を問うように映る。
ああしろ、ではなくて。
こうあれ、と。
ただ、粛々と心に、精神に、魂へ問いかけてくれるみたいに。
――お主は、どう在りたいのだ?
その問いは、曖昧なようで、けれど明確であることで心強さを抱くテーマでもある。
誰かと比べず、過去・現在・未来の自分と向き合う課題にもできる。
私は今日も、“私という人間を学問“できただろうか。
ほんの僅かでも、誠心を選べただろうか。
一生、未熟。
大成するか、など二の次。
ただ――
今日も、“自分という人間学を志せた“と胸を張って、眠りにつける生涯にしたい。
それが、未来への熱情で燃料だ。
⸻
作楽 吾子:
「うぉー…!なんかフツフツと炎が燃えて見えるっス…❤️🔥
俺も毎日、“自分の内に秘めた人間学“を学んでみた!って言える日にするっス!!」

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