創業40年目|『横浜駅』の裏事情・情報ブログ|個人店【キシミール】

【ファッションヘルス キシミール】横浜駅西口唯一の店舗型風俗店(ヘルス)

【大人になってから、授業は始まった。── 遅れて教室に戻る読書体験】

朝礼|大人は、いつから授業を受けることをやめたのか

学校を卒業した瞬間、

「これで授業は終わりだ」と思っていた。

 

社会に出てからの学びと聞いても、資格が必要になった時や、仕事に詰まった時など、

「必要に迫られた時」のものという印象でいた。

 

 

──私自身、読書を生活の一部として習慣化できたのは、コロナ禍以降、ここ5年ほどのことだ。

 

それまでは、単純に本を読むという行為を、

「そのうち」「時間ができたら」と、どこか余暇の道楽のように捉えていた。

 

 

けど、もし、もっと若い頃から。

一日たった5分でも、10分でも。

自分の意思で授業を受ける時間を持っていたら。

 

そんなことを、今になって想わずにいられない。

 

 

当店は『横浜駅』にて

創業40年の小さな個人経営店

ファッションヘルス《キシミール》です🧺

 

 

これは過去の自分から未来の自分への進級式。

 

遅れて教室に戻ってきた大人が、徐に席に座り直しただけの話だ。

 

 

さて本日は『桜歌村塾(おうかそんじゅく)』という、人生を私塾とする、学びを綴る記事シリーズである🪵

 

 

作楽 吾子:

「えっそう言われると、俺も授業からはもう卒業したものって思ってたっス……授業って大人になってからもあるんスか?」

 

 

ビジネスコラム | 創業40年目|『横浜駅』の裏事情・情報ブログ|個人店【キシミール】

 

 

 

一時限目|ネット・YouTube・読書、それぞれの役割

ネット検索は今や欠かせない辞書代わりだ。

分からない言葉も、知りたい数字も、秒で手に入る。

 

教養系のYouTubeも面白い。

歴史も哲学も、テンポよく噛み砕いてくれる。

あれも確かに、講義の一種ではある。

 

 

ただし、読書とは役割が少し違う。

 

ネット検索は、いわば資料室

必要な情報を、必要な分だけ取りに行く場所。

 

教養系YouTubeは、公開講座やエンタメ番組

学びの入口としては、とても優秀だし、「知りたい」を「面白い」に変えてくれる力もある。

 

 

一方で、③読書はまったく別の性質を持っている。

 

✔️ それは、対話型の講話であり、腰を据えて向き合う個別授業

 

 

インターネットは、確かに学びへの扉を開いてくれる。

けれど、じっくり一対一で話を聞く感覚は、どうしても薄い。

 

いわば自主学習向けなのだ。

 

 

そこが読書とは大きく異なる。

 

読書は、一見孤独であり、地道で、地味で、正直ちょっと面倒な「作業」や「娯楽」に映る。

 

 

だが、ページをめくるたび、人を感じ、温度を感じ、情景や心情を考えさせられ、その時間に立ち止まらされる。

 

読書は、独りではなく、対人なのだ。

だからこそ、知識としてだけでなく、記憶と心の両方に沁みる

 

 

作楽 吾子:

「なるほどっス

WebサイトやYouTube予告編、読書は本編って要領なんスね📖✨

 

 

 

二時限目|物知りじいさん・ばあちゃんの時代

ネットが普及していない時分。

分からないことがあれば、人に聞くしかなかった。

 

近所には必ずいた。

物知りじいさん。物知りばあちゃん。

 

 

あれは今思えば、情報源(ネット)であり、同時に講話(授業)の場でもあったのだろう。

 

ただし、それには代償もあった。

 

 

知りたい話だけを、都合よく聞けるとは限らない。

世間話、昔話、同じ話を何度も繰り返される。

時には、ありがたくもない説教が付いてくることもある。

 

 

正直に言えば、今ならきっと、こう思ってしまうことだろう。

 

「うん、タイパがね……

 

だから、ネットは便利だ。

無駄がなく、要点だけが手に入る。

 

 

けれど──あの無駄話の中には、確実に人の体温があった。

声色、言葉の間、沈黙、笑い。

話の内容よりも、人そのものの記憶が残る時間

 

それこそが、あの頃に齢が幾つになっても得られた講話や授業だったのだと想う。

 

 

便利さと引き換えに、私たちはいつの間にか、他人の話を腰を据えて聞く時間を手放してきた。

 

今の時代、そこかしこに情報は溢れている。

 

 

だからこそ──

本当に貴重なのは、コミュニケーションによる学びなのではないか

 

 

作楽 吾子:

「確かに情報と教育が違うように、話を聞く時間からしか得られない、知識の知恵の実がある気がするっスね🍎

 

 

【女性キャストへの取り組み| 創業40年目|『横浜駅』の裏事情・情報ブログ|個人店《キシミール》】

 

 

 

三時限目|読書は、タイムマシン付きの授業

読書は、授業である。

そして同時に、タイムマシンに乗って授業を受けに行く体験でもある。

 

本を開いた瞬間、私たちは否応なく、その時代の教室へと誘われる。

 

 

そこにあるのは──

貧しさ。ひもじさ。不便さ。

 

それでも生き抜こうとした、人間の息遣い。

 

教室は、寒いかもしれない。

椅子は、硬いかもしれない。

黒板も、プロジェクターもない。

 

その時代環境は、決して居心地が良くなかったりもする。

 

 

だが、その本の中の空間には、現代では失われがちなものが沢山詰まっている。

 

 

有り難み。感謝。人間くささ。

迷いながら、それでも前に進んだ跡。

 

読書とは、そのすべてを削らず、要約せず、丸ごと味わわされる授業なのだ。

 

 

だから疲れるし、だから胸に刻まれる。

 

これが、現代的な「要点整理型の情報」と、決定的に異なり、重宝がられる理由だろう。

 

 

作楽 吾子:

「うわ本って当時の空気ごと受講する授業なんスね

だからこそ古い本、読まれ続ける本に触れられる今って、めちゃくちゃ価値が高いんスね❤️‍🔥

 

 

 

終礼|私は、これからも授業を受け続ける

私は、これからも読書という授業を受け続ける。

それはカッコ付けでも、修行アピールでもなく。

 

 

読書は己を正してくれて、調子に乗りそうになったら立ち止まらせ、視野が狭くなったら、背筋をビシッと叩くように伸ばしてくれる代物なのだ。

 

そんな時間を、これからも生活の中に宿しておきたい。

 

 

そして、できることなら──

やがて自分の生き方そのものが、誰かにとっての講話授業にもなれたらいいなんて妄想をさせてくれる。

 

 

「こんな考え方もあるんだな」

「こんな生き方をしている人もいるんだな」

 

私は人さまに教えるというより、その程度のヒントにでもなれれば、十分だと思っている。

 

 

この《キシミール》のブログもまた、私にとっては自分自身が受けてきた授業のノートであり、生きた軌跡を遺す、ささやかな私塾の体験記のようなものだ。

 

 

名も知らぬネットの世界で、似た悩みや志を抱く誰か、同窓生へ向けて。

 

そして自分自身が己が道を踏み外さないために綴る手記。

 

 

そんな姿勢で、私はこれからも、さまざまな本から講話を受け、授業を受け、

 

一生を学び終えられたら──それが善い。

 

 

作楽 吾子:

「そういえば周りの人たちは、最近忙しくて読書できてないって言ってたっス。

けど、俺はここで学べてるの、正直ありがたいっス!

だからって驕らず、これからも本からも、他者の言葉からも、授業を受ける気持ちで、姿勢を正してもらいながら進みたいって思ったっス!!」

 

 

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